中原区
老後を明るく豊かに元気な仲間づくりの活動を
中原区
老後を明るく豊かに元気な仲間づくりの活動を
中原区は、昭和47年(1972年)4月に川崎市が政令指定都市に移行した際に誕生しました。
川崎市のほぼ中央に位置し、区域の大部分は多摩川に抱かれた平坦部ですが、高津区や横浜市に隣接する井田地区には豊かな緑の残る丘陵地が広がります。
「中原区」という名称は、江戸時代に中原御殿(平塚市)と江戸を結ぶ中原街道の中継地としての小杉に陣屋があったことに由来しています。
東京都心部や横浜へのアクセスに恵まれていることもあって、人口・世帯数は7区の中で最も多くなっています。
武蔵小杉駅を中心に先端企業が集積する一方、下小田中地区は県下でも有数の品質を誇るパンジーの生産で知られております。また、等々力緑地には、とどろきアリーナや川崎フロンターレのホームグランドでもある等々力陸上競技場などのスポーツ施設のほか、市民ミュージアムや釣り池など市民の憩いの場となっています。
現在、武蔵小杉駅周辺では、再開発による新しいまちづくりが進んでおります。平成22年3月には、JR横須賀線武蔵小杉駅が開業し、周辺からのアクセスが便利になりました。一方で、多摩川周辺の水辺や緑地の自然を生かして、暮らしやすく潤いのあるまちづくりを市民と協働で進めています。
昭和30年代から老人福祉の向上を目指し、社会福祉協議会、特に地区社協が中心となって粘り強く地域に入り、老人クラブ、母親クラブ等の組織化を図っていきました。
昭和29年から同33年にかけて市内の全域を18に分けた小地域の社協ができ、当地区の中原社協が結成され、当時の住民懇談会に配布した資料には社協の仕事として老人クラブが明記されていました。後に、行政の福祉事務所の福祉係が老人クラブの指導育成業務を行っています。
中原区では、昭和33年9月9日に高砂老人クラブ(現在は解散)が誕生しました。
その後に住吉寿クラブ(現在は解散)、34年に小杉陣屋町2丁目寿会、35年に上平間老人クラブ、亀楽会、36年に大戸老人クラブ、下沼部和楽会、37年に中丸子老人クラブ、39年に井田共和会老人クラブ、40年に小杉1丁目延寿会が結成され、ピーク時には65クラブが活動していましたが、年々会員及びクラブ数が減少し、令和2年4月現在37クラブ、1,594人の会員となっています。
クラブ相互の親睦と連帯を密にし、老人福祉の向上を図り、広く社会福祉の増進に努めることを目的としています。